嘉門 達夫

嘉門 達夫
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嘉門 達夫 (かもん たつお)

シンガーソングライター、ミュージシャン

講師カテゴリー

  • 学校教育・PTA・育児
  • 育児・幼児教育
  • 芸能・エンタメ・芸術
  • タレント・モデル
  • 音楽・映画
  • ライフスタイル
  • ライフプラン・自己啓発

出身地・ゆかりの地

大阪府

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プロフィール

“時代の観察者” “言葉の魔術師”による
笑いあり感動ありの歌&講演!


1959年 大阪府茨木市生まれ。
1975年 高校在学中に笑福亭鶴光師匠に入門。
     内弟子となり笑光となるが5年後に破門。放浪の旅に出る。
1981年 サザンオールスターズの桑田佳祐氏と出会い、
     彼の別名“嘉門雄三”から姓を受け、嘉門達夫と命名。
1983年 ヤンキーの兄ちゃんの歌でレコードデビュー。
     YTV全日本有線放送大賞新人賞・TBS日本有線大賞新人賞受賞。 
     以後、ゆけ!ゆけ!川口浩!!小市民 鼻から牛乳替え唄メドレーシリーズ等、
     数々のヒット曲を生み出し話題となる。
1992年 NHK紅白歌合戦出場。
1995年 阪神大震災チャリティーシングル怒りのグルーブ震災編発売。
2003年 20周年記念シングル明るい未来?シングルバージョン アルバム達人伝説発売。
2007年 初の書き下ろし私小説た・か・く・らを発刊。
     “時代の観察者”“言葉の魔術師”などの異名をとり、
     現在もライブツアー・テレビ・ラジオ・執筆活動など多方面で活躍中。
     他の著書に「嘉門達夫の美味すぎ!ニッポン旅ガラス?旅で出会った人と味」、
     「嘉門達夫の中学生日記」などがある。
2010年 1月CDさくら咲くリリース。
     大阪・北区の大阪天満宮で合格祈願ライブを行い、
     新曲で受験生や頑張る人への応援、祝福ソングさくら咲くなどを熱唱し好評を博す。

講演テーマ

【思春期~今、夢を持ち続けて】

幼稚園の頃は内向的な子供で母は心配してエレクトーン教室に通わせた。しかし一人黙々と熱中して練習する達夫を心配した母は強制的にやめさせた。小学校の頃、運動が得意ということでもなく、勉強が特に出来るわけでもなく、自分の居場所はどこかなと思っていた。そんなある日、クラスのお楽しみ会で友達と漫才を作って披露した。みんなが笑った、笑顔になった。近所に公開録画の番組がくればせっせと出かけるようになった。中学で深夜放送とフォークソングに目覚めた。ラジオで投稿したハガキが読まれるようになった。ギターを手にして曲を作って近所の公民館でコンサートを開いた。高校在学中、落語家を目指し弟子入り。しかしのちに破門!!放浪の旅に出る。そこで彼はまた自分の居場所を探し発見する。
思えば中学生の頃に今の嘉門達夫は形成されていた。夢はどこで見つけたか?どうやって手に入れたのか?支えてくれた人は誰だったのか?印象に残っている言葉は何だったのか?今、夢は生涯現役という。夢を持ち続ける嘉門達夫の少年時代~現在を語ります。お子様をもつ親御さん、まさに今夢を探している少年少女達に共感をもって聞いていただけます。

【父や友をたくさんの笑顔で見送った ~笑いの送り人~】

幼稚園からの幼馴染が2006年肺がんで逝った。47歳。余命3カ月という時に友は嘉門に電話でそのことを告げた。嘉門が返した言葉は何して遊ぶ?。いつも二人はそうだった。友は嘉門に頼みがあると言った。俺の葬式、オモロクしてくれへんか?
嘉門は友にある提案をする。嘉門は同級生に連絡して遊びを考えた。旅行、同窓会、憧れのマドンナ探し。友は余命3カ月の告知を受けたものの6カ月間笑いながら生きた。奇蹟が起るかもしれないとさえ思った。でも別れはやってきた。オモロイ葬式という約束を泣き笑いの中で果たした。
嘉門は数年前に実父を食道がんで見送っていた。その時父は自分の病を知らされてなかった。嘉門は高度経済成長時代を駆け上ってきた父のフィナーレととらえ、父の姿をビデオにおさめた。嘉門が不在の時は兄弟がカメラをまわした。途絶えがちだった兄弟との会話も必然的に増えた。笑いの絶えない病室で父は逝った。
友、父を見送る時に何ができたか?何をしたか?家族、そして友を嘉門の体験をもとに語ります。

【万博とともに生きている】

小学校の時だった。EXPO’70 万国博覧会が住んでいるところから自転車でいける絶好の場所にやってきた!!何もなかったところにいろんな形の建物が出来ていく。未来がやってくる!!ワクワクした!!ドキドキした!!開催期間中21回通った。友達とバッチ集めに熱くなった。初めて見るもの、聞くもの、食べるもの。少年期は確実に万博に影響された!!
今も万博的なものが大好きである。というか嘉門達夫は万博になりたい!とさえ言う。愛・地球博にも8回足を運び、テレビの企画で旧友とバッチ集めリベンジ対決もした。小学生の頃と変わらない気持ちで楽しんだ。万博は夢を見ることを教えてくれた。そんな大イベント万博が現在に至る自分自身の中でどのような影響があったのか?その体験がどれほど人生を楽しくさせているかを語ります。
現在は上海万博を楽しみにしている嘉門です。

【~食~ と ~人~ を訪ねて】

仕事柄、全国各地に行くことが多い。各地の番組出演した時、司会の方から例えば○○には何回くらい来られているのですか?と聞かれることがある。嘉門は100回くらいですねーと答える。
ありがたいことに色々な方に出会う。地元の人にぜひとも薦められて食事に行く店も多々ある。食と人、それらとの出会いは旅を鮮明に彩ってくれる。忘れられない味、人。もう一度訪ねる店。決して高価な店でなくても心に深く残っている店、人がある。値段より作り手の志が高いと必然そうなるものなのだと思う。
そうかと思うと、なぜこの街ではこれが市民権を得ているのか!?他の街にはないぞ!!というものも多い。食はまさしく文化であり、人はそれを育てる。
各地を実際に歩いて体感したからこそ伝えられるものがたくさんある。旅のエピソードとともに各地の~街~、~食~、~人~を語ります。

【ラジオが運んでいるもの】

嘉門達夫は中学生の頃、深夜放送を父に、フォークソングを母に育った。ラジオでしゃべる人になりたいと思い、当時パーソナリティとして絶大な人気の象徴・ブランドとも言える落語家になることを目指す。そして高校在学中に内弟子となり、21歳まで弟子生活をした。憧れだったラジオのレギュラーも獲た。しかし、そんなさなかに破門!!
再びラジオでしゃべる人として帰還するまで、いろんな人に助けられた。本来ならあり得ない復活である。ここに来たかったんや!と実感した時、嘉門達夫にはヤンキーの兄ちゃんのうたが出来ていた。
ラジオの深夜放送の形態で深夜テレビのパーソナリティを名古屋で長きにわたってつとめた。そんな放送を聞いたり、見たりして育った人たちが今やお父さん、お母さんだったりする。ラジオが嘉門達夫にもたらしたもの、ラジオ・メディアが与えた影響とは?!様々なおもしろおかしい実話をエピソードとともに語ります。

【人との出会い】

友達、家族、仕事の仲間、支えてくれる人たち・・・嘉門の周りにはたくさんの人がいる。それは決して特殊なことではなく、いつも誰かがいたということを彼が鮮明に覚えているから語れるのだと思う。小学校の時に一緒に漫才をした友、中学校でDJごっこをやった友、座右の銘となっている言葉を教えてくれた先生、高校の卒業式ではひと悶着起こし、それを支持してくれた後輩や見知らぬ人、高校生で飛び込んだ落語の世界の師匠、嘉門達夫という名の名付け親である桑田圭祐氏、レコードを自主制作で作ろうと思い立ったときにカンパをしてくれた人など・・・たくさんの人と出会ってきた。替え歌を作る時に生まれたエピソードさえも人との出会いである。嘉門達夫は人が好きで、人がどうするかを見るのもまた好きである。結婚も背中を推した仲間がいたという。
嘉門達夫のそんな話を聞くと、出会いから生まれた思い出や人とのつながりは記憶力で残すのではなく、感動や笑いや感謝があってそのシーンが記憶に残るものだと思う。現代は人のコミュニケーションが希薄だと言われがちだが、なかなかどうして、人との出会いはオモシロイものである。嘉門流出会いの和の広げ方を語ります。

【婚活?!合わせて94才の新婚】

嘉門は2008年11月に結婚した。お相手は43歳の眼科医、初婚の女性。よく診察してもらったことがキッカケですか?と聞かれるが、そうではない。仲間との食事をすることが多い中で、ある日出会ったのだった。女医さんとの出会いはなかなかないと言われるらしいが、彼女は忙しい勤務の中も友達と食事をすることが好きだったようで、嘉門もワインに詳しい彼女にいろいろ知ってる人やなぁと感心していたらしい。
友達同士で旅行に行くことも多く、いつの間にかいつもその輪の中に二人がいた。が、なかなか交際に発展しそうにないと思ったのか、嘉門の旧知の友である笑福亭笑瓶さん、北野誠さん、桂雀々さん、スターダストレビューの根本要さんらが背中を推した。(後の2009年2月行われる披露宴の発起人となって下さった皆さん!!)
今まで結婚願望はない、結婚しない、嫁はいらない(高校生から5年間、落語家の内弟子をしていた嘉門は家事でも何でも一人で出来たのでそう言われていた。)と思われていた嘉門達夫が結婚に至るまで、結婚して思うことなど、色々なエピソードを交えながら語ります。


※ 以上はあくまで例です。
引き出しの多い講師ですので、内容についてはご相談できます。
いずれの講演会も、ギターでの弾き語りをおりまぜながらも可能です。
替え歌が出来るまでなどのトークもご披露できます。

実績

2009年
09月 東京都中央区青年会議所「夢を追い続けて」(会員対象 100名 東京)
10月 ひまわり生命「父や友をたくさんの笑顔で見送った~笑いの送り人~」
   (外交員対象 50名 東京)
10月 学校法人 津田学園「思春期 そして、今」(生徒対象 400名 三重 桑名)
10月 関西大学「嘉門達夫の社会学」(学生対象 100名 大阪 吹田)
11月 名古屋青年会議所建設部会「人との出会い」
   (会員対象 100名 愛知 名古屋)

2010年
02月03月 NTTコムウェア九州「夢を持ち続けて」(社員対象 160名 福岡 博多)
03月 鹿児島加治木町コープ「人との出会い」(組合員対象 200名 鹿児島 加治木)
05月 (株)九電工「夢を追い続けて」(社員対象 100名 東京 小石川)
05月 太陽生命保険(株)「た・か・く・ら 友人の思い出」(社員対象 200名 東京)
06月 岡崎青年会議所「人との出会い」(一般対象 300名 愛知 岡崎)
07月 豊中青年会議所「人との出会いが人生を変える!カモン!出会い!」
   (一般対象 300名 大阪 吹田)
10月 関西大学「嘉門達夫の社会学」(学生対象 100名 大阪 吹田)

2011年
02月 鹿児島県東串良町 生涯学習発表会「人の出会い」(町民対象 200名 鹿児島東串良町)

2013年
02月 パナソニック伊勢「人との出会い ~元気~」(社員対象 700名 三重 伊勢市)
09月 宝くじ文化公演 文化講演会「思春期~今、夢を持ち続けて」
   (中学、高校生対象 500名 石川県珠洲市)
09月 宝くじ文化公演 文化講演会「思春期~今、夢を持ち続けて」
   (中学生対象 500名 石川県中能登町)
10月 デンソー刈谷 課長会「人との出会い」(課長職対象 700名)

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