田村 聡

田村 聡

田村 聡 (たむら さとし)

Deaf登山家・冒険家

講師カテゴリー

  • モチベーション
  • 夢・希望・挑戦
  • 人権・福祉・介護
  • 障がい・発達障害
  • スポーツ
  • オリンピック・パラリンピック
  • その他スポーツ

出身地・ゆかりの地

東京都 石川県 山梨県

講師候補に入れる
この講師について問い合わせる
講師候補に入れる/この講師について問い合わせる

お急ぎの方はお電話ください

プロフィール

生まれながらの全ろう者(聴覚障害者)
13歳で登山を始め、1980年高校1年生の時に、日本山岳会の快挙を見て、エベレスト登頂の夢を持つ。
23歳(1988年)NECスキー部(当時)に入部、スキーの技を磨く
1991年 ヨーロッパ オートルート(シャモニ~ツェルマット 山スキー4泊5日走破)
1998年 第30回全国ろうあ者冬季体育大会において、男子Aスーパー大回転3位、男子A大回転優勝で、総合優勝をおさめる。
1999年 第14回冬季デフリンピック アルペンスキー 日本代表
2002年 パリ・ダカールラリー二輪部門に参戦
2003年 第15回冬季デフリンピック アルペンスキー 日本代表
2007年 8,000m峰 ヒマラヤ チョ・オユーに世界ろう者初登頂
2010年 北岳バットレス ヒドゥンガリー(最大斜度55度・標高差870m) 単独スキー滑降成功 日本人2人目の記録
2012年 トランスジャパンアルプスレース:通称TJAR(総距離415km、累積標高差27,000m)に予選を勝ち抜き選抜25名に選ばれ出場するも、
     制限時間を勘違いしリタイア
2013年 トルデジアン (総距離330km、累積標高差24,000m)出場、完走
2014~2016年 エベレストに挑戦。3度目にして登頂果たす。世界ろう者初。
2017年~セブンサミッツとセブンセカンドサミッツの全山登頂を目指す!
     オホス・デル・サラード(6,893m)登頂、アコンカグア(6,960m)連続登頂
     キリマンジャロ(5,895m)、バティアン(5,299m)登頂
     コジオスコ(2,228m)、タウンゼント(2,209m)登頂
     ディフタウ(5,204m)、エルブルス(5,642m)連続登頂
2021年 日本301名山登山全山登頂 ろう者初
2022年 国際ロマンス詐欺被害に遭い、活動中断
2023年 山梨百名山全山登頂。同年、どん底の中、妻と出会い結婚。
2025年 マッキンリー遠征 C5から頂上までの間に深刻な雪崩のリスクがあり、ハイキャンプで撤退
2025年 カルステンツピラミッド (4,884m)、 スマントリ (4,870m)連続登頂
さらなる夢は8,000m峰14座全山踏破!残り12座

講演テーマ

【聞こえなくても、還暦を過ぎても、挑戦心が未来をまだまだ切り拓く】

聞こえないことで、自分が周りの友だちとは違うことに気づく。引っ込み思案で臆病だった幼少期を過ごす。小学生の頃、自宅から20kmほど離れた隣町まで自転車で一人旅に出る、それが冒険の始まり。中学1年生の時に家族と行った山梨県の西沢渓谷で、すっかり自然に魅了される。山好きの父と、大学山岳部だった叔父と共に数多くの山に登るようになり、高校1年の時に、日本の登山隊がエベレスト北壁初登頂に成功という新聞記事を読み感動、いつかは自分もエベレストに!という夢を持ち始める。36年間追い求めた、エベレスト登頂までの道のりは決して楽なものではなく、初めての挑戦では8,000m
目前にして、止むことのない、吹き荒れる強風に阻まれ撤退。2度目のチャレンジでは、ネパール大地震が発生し、中国政府から登山中止命令が出され断念。資金も底をつき、3度目は挑戦すらできないかと思われたが、クラウドファンディング等で支援をいただき、なんとか現地入りするも、前年に預けて行った登山用品が見当たらない!などのハプニングもありながら、2016年5月21日、エベレストの頂、地球で最も宇宙に近い場所に辿り着くことができ、世界ろう者初という記録も打ち立てることができた。しかし、これは、僕の夢への挑戦の序章に過ぎない。

【パラグライダー&ドローンパイロットとしての夢】

初めての冨士登山は、足ではなくバイクで登った。今はそんなことは考えられないが、僕が20歳の頃、バイク雑誌に“富士山にバイクで登る”という記事が載っていた。そんなことができるのか!?それなら僕も!と、実際に富士山にバイクで登ってみた。一発で登れた訳ではない。試行錯誤の挑戦が楽しかった。オフロードバイクで、林道を風のように駆り、ジャンプした時など、このまま空を飛べたらいいと思った。山が好き、高いところが好き、そうだ僕は空が飛びたかったんだ。子どもの頃の夢は、飛行機のパイロットになることだった…が、耳が聞こえないからダメだと言われ、諦めざるを得なかった。ドラえもんが現実にいてくれたら、タケコプターで飛べるのだが…50歳を過ぎて、まさかドラえもんが現れるのを真剣に待つ訳にもいかず、そうだ!パラグライダーで飛ぼう!これは名案だと思ったが、各地のパラグライダースクールに入校を申し込むも、悉く断られる。何故って、僕の耳が聞こえないから。パラグライダーで飛行するためには、地上のスタッフと無線でやりとりをする必要があるのだが、僕にはその無線の声が聞こえない。いくつものスクールで門前払いを食った。群馬にあるスクールが入校を許可してくれたのだが、地上での練習しかさせてもらえず、痺れを切らし、山梨にある別のスクールに当たってみた。そこでは、入校を許可してくれただけでなく、手首に振動で指示を伝えてくれる装置を開発してくれた。しっかり飛行時間を積んで、富士山から海岸近くまで飛んだ。いつかK2の頂から滑空するために。

【聞こえないのは僕のせい?】

僕は生まれつき耳が聞こえなかったらしい。僕が聞こえていないことに最初に気づいたのは、一緒に住んでいた叔父だった。僕は音のない世界にいて、最初は周りの家族も、近所の人もきっと同じ世界にいるものと思っていた…と思う。幼い頃に、ろう学校の幼稚部というところに通った。通ったといっても、毎日母に連れられて行っていたのだが。近くに保育園も幼稚園も、小学校だってあった。なのに僕は家からちょっと離れたろう学校に通う。もしかして、近所の子たちと僕は何かがちょっと違うのかもしれない…薄々そんな感じはしていた。家族と話す時も、みんな口をパクパクさせているけど、なんだかよくわからない。そして、ろう学校の友だちは、手を使って話をするという決定的な違いに気が付いた。鼻と言っているのか、穴と言っているのか、釜と言っているのか、カバと言っているのか、口の動きだけでは判別がつかなかったのが、手で、つまり手話で話すとその違いがハッキリわかる。
耳の聞こえない人は、一説によると世界中で1,000人に1人から2人は、必ず生まれるらしい。地域によっては、この割合がもっと高いところもあるようだ。確かに、マイノリティではあるけれど、でもだからっていないことにして欲しくない。機能的に、聞くことのできない人に「聞け」というのは乱暴ではないか。ちょっと歩み寄って、一工夫して、目で見てわかる伝え方にしてもらえたら、社会はちょっと優しくなる気がする。

実績

立川市内を中心とした小中学校や高校、企業、ライオンズクラブ、聴覚障害者団体、社会福祉協議会主催のイベント等における講演会多数
新聞・雑誌・テレビ( NHK)等メディアでも取り上げられる

講演の特徴

手話の特徴である、見てわかる表現を駆使しながら手話で講演し、専属手話通訳が同時に読み取り通訳をする形で進めます。
聞こえないことで、社会の中で立ちはだかる壁。それらとどう向き合い、チャレンジを重ねてきたか。60歳を過ぎてもなお夢を追い求め続け、新たな挑戦を続ける、そのモチベーションの源となる飽くなき好奇心、経験を増やすことでより豊かになる人生のひとつの物語をお聞きください。
私の歩んだ軌跡が、トレースを作ることで、その後を歩く誰かの人生が少しでも生きやすくなることを願って、これまでの冒険譚をお話しします。

講師候補に入れる
この講師について問い合わせる
講師候補に入れる/この講師について問い合わせる

お急ぎの方はお電話ください

同じカテゴリーの講師一覧

いま注目の講演会講師一覧


月間講師依頼ランキング

先月の講演依頼のお問合せが多い講師をランキング形式でご紹介


相談無料!

講演依頼、講師の講演料等ご相談はこちらへ!非公開の講師も紹介可能です。

  • 03-3249-0666(東日本)06-6312-0691(西日本)
  • 03-3249-0666(東日本)06-6312-0691(西日本)
  • お問合せフォーム

お電話、またはお問合せフォームよりお気軽にお問合せ下さい。スタッフが丁寧に対応致します。